新年早々私事で恐縮だけど、、、
昨日(大晦日)まで仕事してた。そして今日(元旦)から普段どおり仕事してる。
この仕事(地方の零細サービス業)に就いて10数年、2日以上の「連休」をとった記憶はあまりない。3日以上の「連休」は、彼女との北海道旅行(3日間)と昨年年初の重い風邪によるダウン(5日間)だけだ。
ま、そんな話はどうでもいいけど、要するに年末もなければ年始もないし、ゴールデンウィークやお盆や夏休みなんてのもないもんだから、日々の生活に大きな「区切り」というものがない生活をずっと続けている。だから、世間的に新年をどーのと言っているのを見ても、実に実感が湧かない。
そんなオレが言うのもなんだけど、正月の3日間くらいは実家へでも帰って、もちを食べたり、かるたや凧揚げをしたり、年始回りでもして穏やかに過ごすのが日本的でいいんじゃないかなぁと思う。
けれどもこの年末年始はおそらく例年にも増して、寒空のもと冷たい路上で年を越し、ボランティアの人たちからの振るまいだけが唯一のぬくもりだったという人たちがたくさんいたことだろう。
思い出されるのは昨年末の政治家たちの議論の内容だ。1次補正だけでこの年末は乗り切れるだの、いや乗り切れないだの、与党野党がぶつかり合っていた。そんな議論してたっていつまでたっても何の解決にもなりゃしないだろう。どうせ平行線のままだし。そんななか、現実はまさにボランティアの人たちの必死の活動だけがせめてもの救いだったわけで。
最近、NHKの「ワーキングプア」本や、テレビでお馴染みの湯浅誠さんの『反貧困』などを読んでみて、あらためてオレの認識の乏しさに恥じ入ってしまった。少し前のブログでは、過疎化し高齢化している地方の田舎へでも失業した人たちを送り込めばいいじゃないかと書いたけど、地方の現状はとても他者を受け入れられるようなもんじゃないと知らされた。
たった今、NHKの新年特集番組を見ていた。日本を代表するとされる経済などの専門家が熱い議論を戦わせていた。NHKの心にくいセッティングを待たずとも、顔ぶれを見、その席の配置を見ただけでも、わくわくさせられるものだ。一方には竹中、八代、もう一方には金子、山口、斉藤と。(やっぱり森永氏はわかり易すぎて無理だったのかな?)
こういう構図は多くの国民に受けやすいのだろうか、、、いわゆる「市場原理主義」肯定派と否定派。竹中さんはそういうレッテル貼りは単純すぎるとバカにしていたが、、、
それぞれの先生方の議論、できるだけ真剣に聞こうとはしていたが、やっぱり議論が深いとこにいくと理解することもできなくなった。なにより難しいと思うのは、画面左の方々は(勝間さんはいまいちわからないけど)なんとなくサヨク的なんだろうなとわかるけど、右側の人たち(竹中さんや八代さん)はわからない。社会的弱者、非正規労働者、社会保障などそれなりにすくい上げようとしているような話の内容みたいだし、また理想論よりも具体的な政策を論じているようにも聞こえる。けれども、オレとしてはどうしても左側の人たちの言ってることに共感をおぼえてしまう。
いつも思うこと、、、たとえば政党間の議論を聞いていても、社民党や共産党が言ってる弱者切捨て、大企業優遇に対する批判などはなるほどそうだと共感はするけれど、いまひとつ現実的な話から距離があるという気がしてしまう。
それが、今日のNHKでの議論を聞いていてもそうなんだ。
問題の核心は、「(原理)主義(~イズム)というひとつの思想を取り入れるか否か」ということにあるのではない!んじゃないかな?と思うんだよなぁ、、、たしかに政府の強力な政策の力が経済構造の転換を可能にする部分もあるとは思うけど、けっきょく「グローバル化」という成熟資本主義の当然の流れが大元のところにあるわけで、それこそグローバル化であって、グローバリズム(グローバル主義的思想)ではないんじゃないのかな!?と。
そこのところ、つまり、世の必然の流れに対してどう乗っていくかという議論と、かたや「原理主義的」政策という人間の選択の問題だという議論とがごっちゃになってるから齟齬をきたしてるんじゃないのかな?と。ま、しょせん素人の感覚的な話なんだけど。
グローバル化と並んでもうひとつ難しいのは、日本が輸出依存型経済だから脆いんだという点。あるいはここ最近では外需依存だといわれる点。もちろんグローバル化と密接に関係していることだろうけど、たとえば麻生総理が登場した当初さかんに内需拡大だと言ってきたが、これも言うほど簡単じゃないわけで、これまで日本経済がそういう経済構造に傾斜していったのもやはりそれなりの必然性があったからだと思う。たとえば資源小国であること、少子化がすすんでいることなど、内需といってもバブルでも起きなければ国内需要ってそんなにキャパもないだろうから。
世界的な規模で経済はフラットになろうとしているわけで、冷戦構造が崩れたときから労働市場がグローバル化され(『資本主義はなぜ自壊したのか』などを読むと)、企業の論理としてより安い労働力を求めて後発国へ出て行くことで技術移転がすすみ(日本での非正規雇用形態が促進され)、結果として新興国とよばれる国々に「世界の工場」の座を奪われようとしている。
そうした中で議論にあったような、今後日本がどういう分野を「飯の種」として伸ばしていくかという経済的なビジョンを持つことの必要はとても重要な課題だと思う。。。思うけど、遅い気もする。日本は環境技術先進国で行こう!なんて叫ばれていたのはついこの前の話だと思うけど、それもアメリカのオバマに遅れをとろうとしているとか、、、トヨタが太陽電池車を開発すると意気込んでいるが、そういうことも国家的なバックアップがあれば早いんだろうケド。
八代さん竹中さんは、日本の正社員は非効率すぎるとも言っていた。成長期ならば日本的経営も機能するだろうが、いまやグローバル化の中で勝ち抜いていくためには非正規雇用が必要不可欠だと。そこで欠けているのは非正規を殺させない制度設計が大事なんだとも。
オレが思うには、、、子どもじみた考えかもしれないけど、、、そもそも、そんなに企業は国際競争の中で勝ち抜いていかなければならないんだろうか??国民がみんな「そこそこ」の暮らしができるような経済じゃダメなんだろうか??終身雇用で非効率でダメなんだろうか??日本の一部の大企業が国際的に勝ち残ることこそが大事で、国民は一部の金持ちと多くの貧困層が生まれることは仕方ないことだというのじゃ本末転倒じゃないだろうか??グローバル化の名の下に結局生まれる社会というのは弱者を肯定し、貧富の差を正当化し、いらんテロの恐怖におびえ、軍隊の必要性を正当化し、ゆくゆくは戦争を当然のこととするような社会じゃないのか??「そこそこ」の経済的に豊かな社会、日本人も外国人もともに共生する社会は夢想でしかないのだろうか??
「年始」にあたってあえて今年の日本のキーワードを挙げるなら、総選挙での国民の「選択」かな!?竹中さんのいうのとは違う意味での「分かれ道」か……
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