小学生でも携帯を持つ時代。
おれが学生の頃はポケベルすらなかったのに。
今の子は携帯を使っていろんなサイトを活用してる。
プロフと呼ばれるサイトが流行ってるという。おとといはそのプロフ上でつながった相手とプロフ上でケンカになって実際に会って金属バットでなぐった少年が逮捕された。
サイトというバーチャルな世界と実際に会うリアル世界。
バーチャル世界とリアル世界。
使うのがパソコンであれ携帯であれサイトという同じひとつの場があり、バーチャルという同じひとつの世界があるわけだ。
サイトというバーチャル世界と似たものに、テレビゲーム等のバーチャル世界がある。
殺人事件とかが起こるとよく批判されたりする。本当のところはどうなんだろう?ゲームの中で人を殺しまくっているうちに、実際に生身の人間を殺してみたいと思ってしまうものなんだろうか?リアル世界では体験できないことが、ゲームというバーチャルな世界では実現できてしまう。ただ、バーチャル世界はあくまでバーチャル(仮想)であって仮りの想像でしかない。または仮の創造!?どんなにリアルっぽく作られた映像でも、自分が生の体験をすることはできないわけで。いくら殴られても本当に痛くなったりしないわけで。殴られても刺されても痛くもかゆくもない。
おれの高校時代。
好きなひとからの電話が入る。ちょうどシャワーを浴びてた時、母がとびら越しに告げにくる。とにかくすぐに風呂を出て折り返し電話するって言っておいて!とおれ。いそいで着替えて電話をかける。うれしくて楽しくて時には2時間くらいしゃべりまくることもあった。そのひととは高校が違うので、学校で逢えるわけじゃない。
「じゃあ、今度の日曜は買い物に行こうね」
約束を取り付け、その日が来るのを心待ちにしていた。
そんなに頻繁に、朝夕問わずに電話をかけていられるわけじゃない。1、2日に一度の電話だけがふたりの実際に接する時間だ。それ以外は…
「想像」
今ごろあのひとはどこで何をしてるんだろう?まだ学校かな?もううちに帰っているのかな?友だちと喫茶店でパフェでも食べてるかな?
おれのことどう思ってるのかなぁ。いま、おれと同じように気にしてくれてるだろうか?おれのこと考えてくれてるだろうか?あのひとの心のなかのどれくらいをおれは占めてるんだろう?
おれの高校時代は、たしかこんな感じだったなぁと振り返る。
20代後半のころだった。世の中に「携帯電話」というものが徐々に広がりはじめていた。近所のスナックのママがいち早くIDO(いまのKDDI)の携帯電話を買った。まだアナログだったので、ひどい雑音だった。デジタルが登場したとき、まっ先におれはデジタルの携帯電話を買った。ドコモのモトローラ製の携帯。
話が前後するが、おれが20前半のころにバイトしていた不動産屋の社長は、すでに電話を「携帯」していた。といっても自動車電話と呼ばれるやつ。社長の小間使いだったおれは、やや重い四角形の本体を肩からさげて社長のそばにいた。電話が鳴ると昔の黒電話そのままの大きな受話器をとりあげ、いそいで社長に手渡した。
そのころのおれたちのモバイルツールはポケベル。一生懸命に数字を文字に変換させたりしていたのを思い出す。20代の半ば頃に初めてパソコンを買った。マイコンと呼ばれる頃からコンピュータに接し、BASICをバリバリ打ち込んでいた先輩に比べればおれのコンピュータ・デビューは遅い方だったが、まだインターネットが本格的に普及する前、「パソコン通信」だったころからおれはネットの世界にのめり込んでいった。そのときに大いに活躍したのがポケベルだった。メル友(メールパルと呼んでいたが)からのメールがパソコン上の受信箱に届くと、その情報がポケベルに転送されるという仕組みだった。仕事中でもポケベルが鳴ると、ユーザーIDからすぐに相手を特定できた。
話がそれたが、携帯がデジタル化してからはそれは急速に普及していった。機能もどんどん豊富になり、メールも当たり前となった。そして「サイト」。サイトの利用は、いまやパソコンユーザーよりも携帯ユーザーの方が多いんじゃないかと思える(実際どうなのかは知らないけど)。
さて、今では小学生でも携帯を持ってるそうだ。中学生になると男子の3割、女子では5割ほどが携帯を持っているという(たしか…)。
今の子たちは、というかおれもだけど、好きなひととは四六時中メールで連絡がとれるようになっているわけだ。おれの学生時代のように、ただひたすら相手のことを想って「想像」力をはたらかせる必要などないというわけだ。気になったらすぐにでもメールをすればいい。延々とメールのやり取りが続く。途切れたらとたんに不安になる。(見ようによっては、携帯の奴隷になってるともいえる)
ともあれ一瞬たりとも自分の頭のなかで想像をめぐらすことはない。そんなこと不要だから。白黒ハッキリさせるのはたやすいことだ。
そういうわけで、昔に比べればあきらかに「効率的」になった。ある意味で無駄ともいえる苦悩をかかえる必要もなくなった。便利。非常に便利な世の中になったものだ。
便利になったことは、では即、「よいこと」なんだろうか?それはいろいろな点で「進歩」と呼んでいいものなんだろうか?果たして失われたものはないんだろうか?
こんな問いをすること自体、あまりにもありふれたことで陳腐なものと一蹴されそうだけど…。
もちろん、おれの時代を持ち出してきてことさらに今と比較することが一体どれほど有意義なものなのかという疑問もあるだろうと承知している。たとえば、おれの時代よりさらに前、手紙が主たる通信手段だった頃と比べることだって出来るわけで、たんに相対的な比較でしかないとも言えよう。
けれど、手紙や電話の時代と比べて携帯時代にとくに特徴的なのは
「バーチャル世界」
ということではないだろうか!?
携帯でのメールはともかくとして、「バーチャル世界」と呼ばれる所以はやはり「サイト」の存在だろう。そしてより重要だと思うのは、それが「世界」だということだ。世界というからにはそこに固有の存在者がいる。もともとサイトは、いわばメモリーカードのようにあくまで一時的なコミュニケーションの停留所だっただろう。たとえば市場のような多数の人々の意思の中継地点だっただろう。ところがそこがいつの間にか立派なひとつの「世界」を形づくるようになったのだ。極端にいえばそこだけで完結される世界だ。
けっきょくおれたちはリアルとバーチャルというふたつの世界に生きてることになる。手紙による文通の時代、文通がそれ自体でひとつの世界だったとはいえないだろう。電話が主だった時代、電話のなかだけで完結するような世界なんて馬鹿げた話だろう。でも携帯時代の「サイト」は立派なひとつの世界といえるのだ。
バーチャルな世界とリアル世界というふたつの世界を同時に生きるわれわれは、見方によってはわれわれのアイデンティティの分裂という(不幸な?)経験をしているのかもしれない。もしかしたら分裂しているように見えながら、実は同一であるというところに不幸があるのかもしれない。いや、不幸か否かは価値判断だからそこまで言及しなくてもいいのかもしれない。それでとくに何の問題も起きないのであればそんなに騒ぎ立てることもないだろう。
問題は、あくまでもリアルがあってのバーチャルだという「主従関係」を人々が忘れてしまうということ。生身の肉体と精神とが合わさってわれわれは成り立っているという厳然たる事実。そういうわれわれは自然のなかで自然の一部として存在しているという事実。そのことを忘れ、そのことを放棄できると勘違いしてしまうということ、つまりは現実から逃避して従たる世界に逃げ込んでしまうこと。そこでの「全能感」にひたってしまうことではないだろうか。そこでは別の自分になれる。いじめっ子に怯えることのないスーパーマンにだってなれる。性を変えることもできる。ゲームでいえばどんな強大な怪獣でも倒せる。強盗も殺人も思いのままだ。バーチャル世界での全能感がリアル世界に「逆輸入」されるとき、悲惨な事件が発生するといえるのかもしれない。問題はここにある!だが実は…
おれが本当に問題だと思うのはまた別の点だ!
たとえば今どきの中学生や高校生、携帯裏サイトなるもので情報交換や誹謗中傷をくり返し、プロフを通じて苦もなく仲間をふやし、出会い系サイトで見知らぬ「おとな」と形だけの(肉体だけの)関係をもつ。それらの是非はともかく非常に「効率的」だ。効率的なのはいいことだが、人間は機械じゃないのだから、そればかりになってしまうのはたぶんよくないのだ!「非効率」なのも絶対に必要なのだ!困難を克服してこそ成長がある。だから、効率的なだけではきっと人間としての成長はないに違いないのだ!これがひとつ。
もうひとつは、「想像力」の欠如!
好きなひとのことを一生懸命想像する。そのほかいろいろなことを想像する。想像力というのは想像する能力ということだが、その能力をきたえるには自分自身による生のリアルな体験、経験が必要だ。会えないときのさびしさ、片思いの胸のいたみ、あるいは殴られたときの痛みや負けたときのくやしさ等々…。
自分が経験した様々な感情や感覚を他人に対しても持てるかどうかは、一生懸命に想像力を働かせることによって可能となるんじゃないだろうか。
気になったらすぐに確認をとる。確認をとれてしまう。わからないことはすぐに調べられる。それもどんなことでも一瞬にして出来てしまう。自分の脳のなかを一生懸命検索するかわりにパソコンで、あるいは携帯で瞬時に検索してしまう。脳の中にはなるほど情報は蓄えられていくかもしれないが、それは自分の頭で考え自分なりに価値判断する過程を省略した生気のないものではないだろうか。
非効率で面倒くさい生身の人間が感じる痛み、苦しみ、悲しみを自分の心に刻み付けること、それを自分以外の人間にまで適用するための想像力。その過程をいっさいスポイルすることで自己中心的な凶悪犯罪が起こされていくんじゃないかと思う。
当然のことだけど、サイト利用者がみんな問題なわけじゃない。プロフ利用者がみんな問題じゃない。携帯の利用がみんな問題じゃない。バーチャル世界がすべて問題なんじゃない。ただ、全体的な傾向としてはあきらかに憂慮すべきものであると思うし、それが極端な形であらわれた場合すなわち凶悪犯罪などと結びついた場合はあきらかに問題だといえるだろう。
ただ、、、
いくら問題だと言ったところで、この流れをとめることは不可能なんだろうけど…。
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