先日、「臓器移植法」改正案の「A案」が賛成多数で衆議院を通過した。もうすぐ参議院にて審議、採決が行われるようだ。
この法案に関しては、基本的に政党を超えて各議員の個人的意思で投票が行われている。たとえば、、、賛成では自民202人、民主41人、公明12人など。一方の反対票は自民77人、民主65人、公明18人などとなっている。ちなみに麻生総理はD案支持ということでA案には反対だったそうだ。
正直なところオレは、今回の改正案提出があるまでは関心がなかった。
現行法が成立して10数年、世間的にはほとんど注目されてこなかったと思うが、その間にも移植を必要とする多くの難病患者が亡くなっていったという。臓器提供を待つそうした患者(レシピエント)からすれば、現行法の臓器移植のハードルの高さを早くどうにかしたいと切実に思い続けてきただろう。
今回衆院を通過したA案は、私たち人間の「死」を「脳死になった時点」だと法的に明確に規定するものだ。(A案~D案までの詳細についてはこちらがわかりやすい)
私たち日本人は長い間、「心臓が停止」した時をもってはじめて「亡くなった!」とみなしてきた。それが私たちの常識的な死の感覚だった。
いろいろなケースがあるだろうが、言われている「脳死」時点というのは、まだ心臓が動いていて身体中に血液が流れているため、身体も温かく脈もあるという。ただしそれは、人工呼吸器をつけているからこそ可能となる状態であって、すでに「脳幹」という生きる上で最も基本的な自発的呼吸などの機能を司っている部分が停止したという点で「死んだも同然」なのだという。
「死んだも同然」というのは、「脳死=脳幹死」になれば人工呼吸器を外せばじきに「心臓死」に至るわけで、不可逆的な死へのプロセスのひとつだというわけだから、「脳死」をもって「人の死」と定めてもよいだろうということだ。
すなわち、死とはそもそも不可逆的なプロセスだとなれば、心臓死だってそのプロセスの一時点にすぎないわけで、おそらくは分かり易さのために昔からの慣習として私たちは「心臓死」を死の基準としてきたのだろうから、それが「脳死」時点に変更したってよいじゃないか!という議論だ。(たぶん、こういう解釈で間違いないと思う)
じゃあなんで、私たちの長年の「死生観」を変更する必要があるのかといえば、やはり「脳死」を人の死だと法的に規定することに大きなメリットがあるからだろう。すなわち、より多くの臓器を苦しんでいる人たちに提供できるからだ!!
というのも、「脳死」が「人の死」だと法的に決められていなければ、その状態で心臓などの臓器を取り出すのは「殺人」になってしまうのだから。ちなみに現行法では、脳死者本人があらかじめ臓器提供の意思表示をしていれば「脳死」を人の死とできる。
また、より多くの臓器を提供できることは、たとえば最近オレの保険証が更新され、裏側に臓器提供意思表示欄が付加されたので、そちらを見ればわかる。
今回のA案の特徴は、上に書いたように、①「脳死」を(本人の生前の意思に関わらず)一律「人の死」とすること、そのほか、②臓器を提供可能な年齢を、現行の15歳以上から0歳以上とすること、③臓器を提供するさいの条件を、本人が生前に拒否していなければ家族の同意のみでよいとすること(現行法では本人が生前に臓器提供の意思表示をしていなければダメだった)、などだ。
実はこの③の規定があるため、今回のA案が成立し施行されれば、たとえば上の保険証の写真にあるような意思表示(ドナーカード)がとっても重要になってくる。
脳死判定後に「使える臓器をすべて提供してもよい!」という人はよいが、問題は「オレは(すべての)臓器提供なんてイヤだ~!!」という人の場合だ。
何らかのかたちで「拒否の意思表示」をしておかなければ、万が一脳死判定を受けた場合、家族が説得されたら強制的に臓器提供させられてしまうからだ。
A案提起者が言う「臓器移植を認めない人、脳死を認めない人の権利も十分に保障・担保している」ということが実際に機能するためには、今回のような法案の中身について広く国民の間に知れ渡っていなければならないのだろう。だから、裁判員制度のような徹底した周知が必要だと思う。
先日放送された、ビートたけしの「TVタックル」で、自身も父に対して生体部分肝移植をした河野自民党議員が、「いったいあと何人殺せばいいのか!」などと過激な発言をしていた。それだけ真剣にレシピエントのことを考えていればこそだと思う。救える命があるのにそれを「見殺し」にしているという主張に対して、なかなか反論できない雰囲気がある。誰だってそう言われたら黙らざるを得ない。オレもその主張はもちろん正論だと思う。けれど、人の命を扱う重大な問題だけに、オレ自身も含めてもっともっと国民的な幅広い意思の共有がなければならないんじゃないかとも思う。
共産党の小池氏らのいう「E案」のごとき、ここ1年という時期を目途にというのもどうかと思う。時間的・量的な問題というより、国民を巻き込んでの質的な議論が必要じゃないだろうか?それによっては半年になるかもしれないし、2、3年かかってしまうかもしれない。急を要する問題ではあるが、ことはそれほど簡単ではない。
あえて言えば、人道的・道義的などをたてにしてA案に賛同しない人が何も言えないような状況には疑問だ!
レシピエントの立場に立てば一刻も早くA案だ!というのはわかる。ただ、「脳死」にはいろいろな問題もあるということも知った上で議論しなければいけないと思う。ざっと代表的な問題を挙げれば、、、
★「提供したい人がいて、提供されたい人がいるなら問題ないじゃないか!」というが、それは「自己決定」原則があればこそだ。0歳から可能とするということは自己決定の原則を放棄することになる。
★少なくとも臓器移植に関連して経済的利害が生じるわけだから(移植コーディネーター、移植医など)、経済行為に伴う問題がないとは言えない。脳死となりそうな人を最後まで救おうと努力しない医師が出ないか?
★ホームレス、不法就労外国人、死刑囚、その他身元不明者が脳死になった場合、本人の意思も家族の同意もなくドナーになることがあるだろう。また彼らはドナーにはなってもレシピエントになることはないだろう。社会的弱者はドナーになれてもレシピエントになるにはハードルが高いのではないか。税金でも投入するのか。その場合国民の公平性は大丈夫か。
★そもそも「脳死」者は本当に意識がないのか!?痛がっていないのか?実際、人工呼吸器を外すともがき暴れることもあるという。血圧上昇、不整脈となるなど。死んだ人間が暴れるために麻酔を打って臓器摘出しなければならないという事実をどう考えたらいいのか??
★テレビ報道は偏向していないか?レシピエント側の立場でしか報道されていないのではないか?
TVタックルの最後にたけしがコメントしたとおり、脳死臓器移植に頼らない方法(人工臓器の開発やES細胞の開発など)にもっと金を振り向けた方がいいんじゃないか!
(参考にした本)
①(脳死臓器移植反対の立場。ややラディカル過ぎ?心情に響かないけど)
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②(反対の立場。詳しい。心情に訴えかける。良書だと思う)
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③(賛成の立場。レシピエントの思いが伝わってくる。反対の本を読んでからだと、また違った感想を持ってしまうかも…)
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