裁判員制度の真の目的とは
市民が刑事裁判に参加する制度は世界の多くの国々で(80以上の国や地域)導入され定着しているという。
ところで裁判員制度はいったい何のために行われるのか?
われわれ一般市民が刑事事件に参加することにより、様々な社会経験を持った者による証拠等に対するより多角的な検証がなされるだろうと。そして市民がみずから刑事事件を扱うことで自分たち自身の権利意識を向上させ、いっそう自覚的な社会生活を営むことにもつながると。さらに専門家だけの硬直した判断に陥りがちな司法によりいっそう世論を反映させることができると。そしてまた結果として裁判の迅速化にも寄与することになると。まぁ、こんなところだろうか。実際によく聞くのは「健全な社会常識が裁判内容に反映されることが期待されています」というフレーズだ。
でもねぇ、、、素人がいきなり刑事事件に参加したってかえって現場が混乱するだけじゃないのかな。なにより現場の裁判官たちにもいい迷惑なんじゃないの?本当は…。それと、日本の場合は参審制とかいって有罪か無罪かを決めるだけじゃなく、有罪の場合にどういう刑罰を科すか(課すか)という量刑判断までするっていうんでしょ。いろいろな混乱を想定して実験、検証も盛んに行われてるようだけど、だったらとりあえず有罪か無罪かだけを決めるところで止めとけばいいんじゃないのかね。しばらくそれでやっていって問題なく定着してきたらあらためて量刑判断までやらせればいいのに…。といっても、もう決まってしまったことだからいまさら言ってもはじまんないけど。
ちなみにオレとしては、ぜひとも参加してみたい。もちろん選ばれたからには可能な限り真剣に取り組みたいし、ある程度の勉強もしてみたいと思っている。他人の人生を左右しかねないものだけにやりがいもあると思うし。だからオレとしては制度にはまったく肯定的な立場だ。
それはいいとして、知りたいのは裁判員精度の本当の目的って何なのか?ってことだ。本当に最初に言ったようなことが目的なのかなぁ、、、??真の狙いって、もしかしたら別にあったりしないのかな?たとえば今の日本の世論ってどちらかといえば被害者感情に同情的だと思うし、それを受けて厳罰化を求めるっていう傾向にあるんじゃないかと感じるわけだけど、厳罰化というのはある意味「権力」にとってはありがたいことだよね。「権力」基盤を固めるためにはそういう方向でいってもらうのが何かと都合がいい。しかも国民みずからが参加してそういう方向に司法を動かしてもらえればこんなに楽なことはない。社会が成熟して市民意識の高まった状態で「権力」が実力行使をするのにはいろいろと抵抗があって厄介だから、飼い犬を黙らせるのに同じ飼い犬を使うほうが反発も少なくリスクも少なく、なにより面倒くさくなくて手っ取り早くて、そのうえコストも抑えられるし。
いやいや、なにわけのわかんないこと言ってんだか、オレって!きっと思い過ごしだろう、うん、そうだ、考えすぎだ!
以上。
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コメント
裁判員制度で選ばれたらぜひ参加してみたいと思っています。いつも思います。例えばチューリップを切った、鳥を殺した、事実は伝わってきます。犯人はひどい奴だ! 繋がりのある人にインタビューをし、「どんな人でしたか」で終わらせないでほしいのです。ここまでに至る何らかの原因があるはずなんです。それを知りたいのです。そして同じ犯罪が起きないように考えていただきたいです。
ただ、選ばれたとして、客観的な見方ができるのかが自信がありません。もしかしたら、犯人の顔をみた第一印象で「悪」とか「許す」とか、私の感情がかなり揺れるような気がして不安です。
それに、面白半分に選ばれたいと思っている人もいると思います。
人を裁くってよほど人間が出来ていないと難しいのかもしれませんね
投稿: ゆき | 2008年5月 5日 (月) 15時06分
こんばんは。いつもゆきさんが言われていることに私も同感です。私たちの願いは、犯罪の結果だけを見て犯人を罰することにとどまらず、なぜ犯罪を犯してしまったのかを知ってそれを教訓として同じような犯罪が起こらないようにするにはどうしたらいいのかを考えて、より安全で安心な社会を作っていくことにあると思います。面白半分でやればいいというものではないですよね。制度は動き出しました。あとはそれをどれだけ有意義なものにできるかを一生懸命みんなで考えていくことが大切なことだろうと思います。
投稿: mie | 2008年5月 6日 (火) 00時50分